こんにちは、Canaです。
前回のADHDにインタビューした記事がかなり好評だったので今回もADHDの方に取材にご協力を頂きました!
今回、ご紹介する方はADHDを持ちながらも飲食店の経営をされているYさんです。
Yさんの過去から現在に至るまでの苦労と自身のADHDと共に生きるコツまで教えて頂きました。
少しでも多くの人にADHDについて知って欲しいという思いで書きました。
またADHDで悩んでいる人にも励みになれば嬉しい限りです。
それではご覧ください。
ADHDでないと分からない苦労とは何か?
Yさんは21歳の時に医師からADHDと診断されました。
障害者手帳でいう3級(心の健康情報局より参照)に相当するとのことです。
Yさんは19歳の頃に周りの友達から発達障害ではないかと言われ続け、彼自身もそうではないかと思い病院へ行ったのがきっかけです。
当時の心境についてYさんは発達障害と診断されることに対して、怖いどころかワクワクしていたのです。
何故かと言うと自身が発達障害であることで他の人に勇気を与える事になると思っていたからです。
Yさんと同じように悩んでいる誰かのためになり、当事者だからこそ伝えられることがあると。
実際に発達障害を持ったまま社会に出たYさんが苦労してきたエピソードについても教えて頂きましたのでお話しますね。
ADHDは会社で働くことが出来ない?
Yさんは19歳の時に友達と4人で塾を起業しました。
当時、塾の経営の事務を担当していたのですが、やりたく無いことに集中が出来ずに、すぐに歩き回っていたそうです。
多動性障害とも言われている通り、我慢する事が出来ずに多動になったり、色んな事に興味を持つので受け身でいる事が苦痛なのです。
小、中、高校生の時は思いついた事を言ってしまうことでイジメられていました。
学校の授業中も携帯を触っていないと落ち着かず、貧乏ゆすりも止まらなかったくらい常に身体を動かしていたのです。
学生時代の部活動は空手、柔道、ボクシング、総合格闘技をやっていたので身体を動かす分には特に問題はなかったのですが、よく大会で遅刻はしていたとのことです。
社会的な信頼が無いことで苦労した日々
Yさんは今までアルバイトを5回、経験されていますが全てクビになっています。
コンビニ、飲食店、古着屋、ライターのアルバイトを経験されてきたYさんは言われた事が出来ないとのこと。
具体的に言うと、コンビニでアルバイトをしていた時はレジ打ちミスが毎回多発、忘れ物が多い、目先の事にしか集中出来ないので遅刻などを繰り返し3週間でクビになりました。
次の飲食店では他の事に目が移ると皿を割り、食材を床に落とすなどでまたクビに。
その後のアルバイトも25回以上転々としたが、全てクビ。
Yさん自身も自分は会社員に向いてない、むしろ会社で働けないと自覚していました。
なので、会社で働いている人たちに対して尊敬していると話されていました。
次回はADHDのYさんが社会で順応していく術についてご紹介します。
後半編へ続く
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