芸能人が○○する原因に共感|自分が悪者にならなければならない理由

HSP

こんにちは、Canaです。

本当はやりたくないことを自らの意思でやってしまって泣いてしまうことはありますか?

たとえば、言いたくないことを言ってしまった時、相手に悪いことをしてしまった時。

視点を変えれば、相手にとってプラスになる可能性があることに繋がるかもしれない。

別の視点で考えると、言ってしまったことへの後悔と罪悪感、そして悲しみ。

ワタクシはかなり小心者なので、すべて自分が悪いと思ってしまい、そして遠いところに行きたくなります。

何をしても楽しくないような、そんな気分で毎日が過ぎていく。

これは鬱状態になりかけているのと、自分の存在が必要と感じなくなってしまったことへの喪失感からだと思います。

1度起きた悲しみは思い出す度に悲しい状態になり、また悲しみを生み出してしまう負の連鎖。

最近、芸能人が亡くなっているのを見ると、その理由からして共感する部分が多く、自分も、、、と考えてしまうことがあります。

たとえ、他の誰かや別の原因があったとしても全責任はやってしまった自分にあると戒めてしまい、友達や家族からも離れたくなる時が襲い掛かってきます。

なぜ今回、このテーマで記事を書こうとしたのか。それは誰にもわかってもらえない悲しみ、苦しみ、罪悪感をこうやって抱えてしまっている人間がここにいるから。

そして、自分に何かあったときのために記録として残すために。

亡くなられた芸能人の方々にもきっと同じような苦しみを持ちながら、悩み苦しむことに疲れてしまったのかもしれません。

原因や解決策はわかっていても、自分も何でこんなに悩まなければならないのかわかりません。

せめて最後には1人でも役に立てることができればそれでいいかなと思っているこの頃。

「優しさ」と思ってやっていることは、誰かにとっては傷になるし、怒りにも迷惑にもなる。

自己満足でやっているだけだと非難する人だっている。

確かにそうかもしれない。しかし、自分にはこれくらいしかやってあげられない。

自分が悪者になって、他の誰かが幸せになってくれたらそれでいい。

責任感が強すぎるがゆえに出てしまう癖。大事だと思っている人にほど、やってしまうことだから仕方ないかもしれない。

親が子どもを全力で守るようなことと一緒だと思う。自分はどうなってもいいし、傷つけられても、怒られても、嫌われてもいいと本気で思う。

それは守りたい人のためにやったことだから、その人が笑ってくれたらそれでいいと思える。

それが自分にできる最大限のボランティア活動だから。

利益なんてどうでもいい。

大切な人からも嫌われてもいい。

でも、その人に何かあったら余計なお世話かもしれないけど、心配になるし、何かしてあげたくなる。

もしかしたら悲しむかもしれない。

過労死する人もきっと家族のために一生懸命働いていたけど、どうしても運が悪くて環境が劣悪だったのかもしれない。

自分でもわかっていても、家族を守るためには諦めも必要で、何かに妥協しなければならない状況だったかもしれない。

いつか自分にもそういう日が来るのかもしれないけど、「逃げる」という選択肢があることを頭の片隅に入れておきたい。

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