私はあまり自分の話は多くしないのですが、最近思うことが多すぎるので書くことにしました。
外側から見た私は楽しそうだの羨ましいだの、すごいとか言われることがあるのですが、自分では現状に満足すらしていません。むしろなぜそういうふうに見えるのかが不思議なくらいです。結論から言うと、正直、全然楽しくないです。ずっと暗闇の中の光を探しているような状況かなと。
基本的に自己肯定感が低いので、無理なもんは無理です。はい。
それでも楽しく生きる方法を模索しながらようやくたどり着いたのが今。
「楽しい」の定義はおそらく多くの人とは違うと思いますが、私が思う「楽しい」は面白い動画を見たり、笑える話を聞いたりするような能動的なことではなくて、現状に対する受動的な想いのことです。
なぜかというと、自分に対して不満を常に抱えていて、当たり前のことに幸せを感じることはあっても盲目になりがちだからです。よく視野が狭いと言われるのですが、私が育った家庭環境は他の人と違って両親の離婚、生活保護、DV、親の再婚、パワハラ、身体を傷つけられると人生を半分通り越したような生き方をしてきたので、昔から視野の狭い環境のなかで育ったけどそれが何か?と返しておきます。
「絶対に見返してやる!」とか「もっと努力しないと周りに負けてしまう」とか思うことが多くなり、常に焦っている状況が当たり前になっています。世間の目に囚われた働かない親をずっと見てきたので、自分はそういうことには絶対になりたくない!といった想いがあります。
だから、本当のところをいうと今、全然楽しくなくて。原因はいろいろあるのですが、ずっと家に引きこもって仕事ばかりしているのが大きな理由の1つかと思います。
休まずに仕事するのは好きなのですが、楽しいという意味の好きではなくて、やらないといけないといった使命感のある好きなので、多分、多くの人よりも人生を楽しんでいないでしょう。
普段は本音で話せるような同性で気の合う友達がいないので、ストレスがたまる一方で。本心が望んでいない環境の変化によるストレスがかなり大きくて、前の職場の人たちと離れたり、仲良くなった人との別れほど辛いものはありません。
昔、地元にいた時も家族の事情であちこち転校したり、引っ越したり、異動で新しい環境に馴染めずにストレスを溜めてしまい、心身症になったり、暴飲暴食、婦人科系の病気になる一歩手前まで不調を繰り返していました(検査してなければ本当に危なかったです)。これもあって子どもを諦めていて、希死念慮もこの頃から強くなり始めたのも原因です。実際に自〇未遂したこともありましたが、やはり生きて世界のことを知り尽くしてからじゃないと納得できませんでした。
それでも一緒にいてくれるパートナーや親友には感謝しかありません。
自分の意思ならまだしも…と思ってしまいます。
しかし、起こるべく起こった転機と捉えて前向きに環境の変化に適応しようとしたのですが、逆に右肩下がりになってしまい、今も相変わらず不調を繰り返しています。
それでも仕事をしないと生活ができない。これは今でも強く感じていることです。何だかんだ自分の身体を犠牲にしてまで働いていたので、仕方がないのかなと思っています。
今は1人でも生活ができるくらいまで稼げるようになったので、言ってしまえば、どこに行っても生活ができるのです。パソコンとネット環境さえあれば、自由に場所を選ばずに働ける。かつての私が望んでいた生活を実現させたのです。
そして私が望むことはたった1つ。同じ職業の人たちと関われる場所で気の合う仲間たちと一緒に働きたいだけ。人生=仕事の私にとっては、それ以外何もないなと気づきました。多くの女性はおそらく、①家族②仕事③友達だと思うのですが、私はちょっと変わっていて①仕事②家族③友達なのです。昔の家庭環境の影響がかなり強く出ていますね。
もはや何も持っていない私は、社会の役に立つ何かしかできないんだろうなと思うようになりました。今あるものすべて失ってもいいと思っているし、むしろどうぞどうぞと大歓迎です。
最近は1人暮らしをしていた頃が懐かしいなと思い出すことがあって、1人旅によく行っていた自分は今と違って本当にわくわくしていたのです。辛い中でも今よりも人生を楽しんでいたなと。もう一度、この「楽しい!」という気持ちを取り戻すことができるのかなと考えるばかりです。人生であと何回、笑えるのかなと。
最期の時を迎えるとしたら、そういうことじゃないかなと。
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